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幕末から明治維新を経て、文明開化による新たな社会変化の中、絢爛たる欧米文化に眩惑され、日本人の自覚を喪い、日本固有の精神は失われ、国家の基本まで揺がうとした危険な時期があった。畏くも、明治天皇は、このことを深く憂慮遊ばされ、明治三年には、「神祇鎮祭の詔」並びに「大教宣布の詔」を渙発されて、「惟神の大道を宣指すべきなり、以って新たに宣教使を命じて、以って教を天下に布かしむ」と、おおせられ、御製を通して、日本人の建国以来護持して来た「天地の大道」をお教えになった。明治政府は、この明治天皇の聖旨を奉戴して、従来の神社と別に、数多くの宗教活動を行う団体の中から神道を信奉する民衆宗教団体を教団として認め、布教活動を許可し、国民の精神生活の柱となるべき神道の本義を培おうとした。この時に勅許を受けた、のちの「神道十三派」と言われる教団が「教派神道」である。その事務局として明治六年に「大教院」が設けられた。明治八年には「神道事務局」が創立され、明治十四年には、神道教導職総裁に有栖川宮幟仁親王は七十歳を越ゆる御身を以って、ご就任なされ、「欧米文化一辺倒から醒めるには、日本人の道統の神道精神を究明し、国民に再認識きせる必要がある」として、当時の志を同じくする神道諸家の陣頭にお立ちになって、その実践に尽されたのである。

教派神道十三派の成立の過程をみてみると、これを広義に解すれば、十三派全部が教祖神道であると言わなければならない。
神道大教でも教祖はないと言われているが、教団を組織し教理を宣布した者を教祖と見るなればそれは初代管長、稲葉正邦卿であろう。その意味ではすべて宗教宗派には必ず教祖があり、宗祖がある。
しかし乍らこれを今すこし学的に、あるいは狭義に解するなれば教祖のある教派は九派あり、更に定義の枠を縮めるなれば三派になる。
前者は黒住、修成、扶桑、實行、神習、
、神理、金光、天理、
後者は黒住、金光、天理である。この三派は純然たる教祖神道である。これらの分類のきめ手になるものは何であるかというと、第一に特異なる教説者であること、第二に神懸的であること。第三に人間的生活の放擲者であること、これらの具備者が立教の根源にあってその教説を中心思想として教理、教義を組織した教団が純粋なる教祖神道と言われるものである。
この教祖神道の中にはその祭儀礼典が神道的であって教理は神道の純理とはかなりかけ離れた独特のもの、もしくは神仏的シンクレティズムのものもある。
そしてそれらは近代文明の社会にあって、既に神道の神観、世界観を離れたオリジナリティーな教団と発展しているものもある。これに対して古学的神道である神道大教、大社教、大成教、御嶽教、或は前記教祖神道中三派を除いた修成、實行、扶桑、神理、神習、の六派はいずれも古学的な神道理念を教理の中心としてその祭神奉斎の内容及び祀典等は類似したものである。
 今ここに簡単な各教派の沿革と主祭神について例記し考察を深めてみることにする。

一、古学的神道の部

(1)大社教 … 古くからの出雲信仰が明治になってから組織されたもので明治の神道界の一主峰であった千家尊福が初代管長となって大をなした教団である。
明治十五年神道事務局の所属を離れて別派独立を公許された。
(主祭神) 大国主神を主神として天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神、天穂日命、産土神の六神を併せて奉斎する。

(2)大成教 … 幕臣であった平山省斎(敬忠)によって組織されたもので神需一致の思想にもとづく教えで西洋の学術も取り入れ、国体の尊厳と国民道徳を維持し、物質文明を進めようとする当時としては、進歩的な教派であった。
明治十二年一派をなし同十五年神道事務局を出て独立教派として公許された。
(主祭神) 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神、伊邪那岐神、建速素盞男神、大国主神の七柱を奉斎する。

(3)御嶽教 … 栃木県の足利の人、下山応助が御嶽大神の熱烈なる信仰者で御嶽山鎮祭由緒などを調べ平山省斎、鴻雪爪などの助けをかりて明治六年立教を教部省に願い許され、同十五年神道事務局を出て、独立教派として公許された。
(主祭神) 国常立尊、大己貴命、少彦名命の三神を奉斎主神とする。

二、古学的教祖神道の部

(1)修成派 … 新田邦光が「この漂(ただよ)える国を修理固成(つくりかためる)との、神勅を教理理念として儒教的精神を取り入れて一派を創唱したるに始まるもので、明治六年修成講社をむすび、同九年、神道事務局を出て独立教派として公許された。
(主祭神) 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、天照大神、及び天神地祇八百万神。
  別祭神として伊邪那美神、祓戸神、風神、塞神、水神、火神、木神、金神、土神、保食神、大穴牟遅神、少名毘古那神、石長毘売神を併せ祀る。

(2)實行教 … 戦国時代の末天文年間長崎の人長谷川角行を開祖とする富士講が組織されたもので、明治十五年神道事務局を出て別派独立を許され、初代管長に柴田花守がなった。
(主祭神) 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、を主神として天神地祇を祭る。

(3)扶桑教 … 實行教と同じに長谷川角行を、開祖とし、共に富士行者を中心として、発展した教団である。明治六年宍野半によって富士一山講社がむすばれ、同十五年、神道事務局を出て別派独立を許され、宍野半が初代管長になった。
(主祭神) 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、を主神として天照大神、月夜見神、産火邇々杵尊、木花開耶姫神、天神地祇八百万神を併せ祭る。

(4)神習教 … 開祖を芳村正秉といってかつては神宮司庁に奉仕、神宮教院の設立、神道事務局の開設等に非常なカを尽くした人である。物質界と精神界との調和を図り、宗教と政治及び道徳との一致を明らかにしようとして一派を立ててこれを教えた。
  明治十五年神道事務局を離れて別派独立を公許された。
(主祭神) 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神、歴代の皇霊、及び天神地祇、八百万神、又相殿には国常立尊、大国主尊、少彦名命、饒速日命、底筒男命、中筒男命、表筒男命 (伊久魂大神、豊受大神、倭姫大神)を奉祀する。

(5)神理教 … この教団は饒速日命を高祖と称し五十言宿禰(いそことのすくね)を、宗祖と仰ぎ以美伎連(いみきのむらじ)を先祖と呼び巫部連磨(かむなぎのむらじまろ) を中祖とし饒速日命の七十七代の子孫に当る佐野経彦を以って教祖と称している。明治十三年佐野経彦の開設、神理教会が許可され、同十七年神道本局の所属となり、二十一年御嶽教の管轄に移ったが二十七年一派の独立をなし遂げた。
(主祭神) 天之御中主神、高皇産巣日神、神皇産巣日神、宇麻阿志詞備彦遅神、天之常立神、国之常立神、豊雲野神、宇比遅爾神、妹須比爾遅神、角杙神、活杙神、大戸乃遅神、大戸乃弁神、面足神、稜惶根神、伊邪那岐神、・伊邪那美神、天照大神、以上十八柱の神と他に配祀の神として月夜見神、豊受姫神、経津主神、武甕槌神、大国主神、少彦名神、祓戸大神、野見宿禰命、巫部大祖忍穂見命、饒速日命、彦須根大神を祀る。

(6)禊教 … 江戸の人井上正鐵の開いた教えであって、明治になってから門人坂田鐵安等によって禊社を設立、神道本局に所属、明治二十七年鐵安の子、安治の時に至って一派独立を公許された。
(主祭神) 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神、伊邪那岐神、須佐之男神、大国主神、祓戸四柱ノ神、産土神を祀る。

三、教祖神道の部

(1)黒住教…教祖黒住宗忠が病の床にあるとき太陽を拝し天命直受、にわかに蘇生した気に満たされ、病気平癒を機に太陽神である天照大神を信仰したるのに始まる。明治九年宗忠の孫宗篤の時に至り、公認教派として神道事務局を離れた。
(主祭神) 天照大神を主神とし他に八百万神と教祖宗忠神を祀る。

(2)金光教 … 備中の人、川手文次郎を教祖として俗間の迷信打破を目的に起った宗教である。明治九年岡山県令から公然布教の許可を受け、同十八年神道備中分局に所属、二十年更に神道本局直属となった。その後次第に教団の内容を充実し、明治三十三年一派独立を公許され教祖の二男萩雄が初代管長となった。
(主祭神) 日乃大御神、月乃大神、金乃大神、三神を総称して天地金乃神という。

(3)天理教 … 大和の人中山美伎(みき)を開祖とする今日日本での大教団である。天保九年(一八三八)美伎四十一歳の折り神懸りとなり神命を奉じて困窮と病苦を救うことに努めた。美伎の熱烈なる信仰心を慕って集まる者日増にふえ、それを嫉む他宗派の迫害、その異状な布教振りを恐れる官憲の取締り、そうした苦難の立教過程を経て文明社会に通ずる教義が教祖の「おふでさき」を中心として成立した。明治十四年大神講(おおみわこう)の配下となり同十八年神道本局に所属し天理教会となり漸く合法的な教団として認められるようになった。
 そしてその後国家への忠誠と教団自体の充実は遂に時の政府も認める処となり、明治四十一年別派独立が公許され、教祖の孫中山新次郎が初代管長となった。
(主祭神) 国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊、大苫辺尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日靈尊、月夜見尊、以上十柱の神を総称して天理大神又は天理王命という。

以上十二の教団を三つに分類して概観して見たが古学的神道の教団と、古学的教祖神道の教団はほとんど軌を同じくしていると言わなければならない。ことに祭神祭祀の観念は御嶽教を除いてその主神は全部が一致している。ただ各教団には、立教にもっとも縁の深い由縁神がそれく特殊神事を継承している。これらの教団の主神が共通であることは明治六年の大教院鎮祭の精神が立教組織者にしみ通っていること、祭神論争以後に於ける神道大教院の祭祀方法が明治天皇の勅裁を得て定ったことに起因し、それに従って各教団が祭祀方法を独立に当って神道大教院の祭祀に見習ったと言うことも多分にあったであろう。いずれにしても明治神道が組織的には失敗しているが教派神道の十教団までに古学神道の思想で固めさせたことは、今後の神道界にその進む道を暗示しているようで心強いものを感じさせる。
教祖神道の部の三教団については三教団とも、同類的な分類をしたが、それはいずれも立教までの過程において類似していると言う理由であって、その宗教的内容を以って類別したものではない。従つて若しその内容的なものまで観察し鑑別することが許されるなれば黒住教は古学神道に近く、金光、天理の両教は神道を母胎とした新教であると言わなければならない。特に天理教は新教として名実共に発展し、その綜合された組織運営は国際的にも著名になって来た。
教祖神道は虐げられた民衆の底辺から起り、それがたまたま神道的に組織され、更にそれが近代宗教学の力を借りて高次の教理、教義に仕立上げられ、教育施設、福祉施設の完備に伴って社会的価値のある宗教王国に発展して行ったのである。
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